だれかに甘えていますか?
わたしは、このブログを読んでずっと考えていた。
最近気がついたことと、このブログ。
父が亡くなってから、ずっと父を追い求めている。
父の代わりを探しているのかもしれない。
亡くなって何年も経つのに、空を見ても月を見ても、音楽を聞いても、父のことを想う。
お父さんだったらなんて言うかな?
なにかあるたびにおもう。
話したい。
ただ、甘えたいだけなのかもしれないと思った。
わたしはおとなだけど、こどもにもどっちゃったのかな。
父がだいすきだった
わたしは子供の頃から父が大好きだった。
「なこ」と呼ぶのも父だった。
やさしくて、こころのつよい人。
子供の頃、休みの日にはいっしょに過ごした。
父はなんでもできた。
なにか壊れれば、分解して直す。
畑で野菜を作った。
日曜大工、今で言ったらDIYも得意だった。
一緒に棚を作ったり、犬小屋を作ったり、お正月前には門松も作った。
父は日経新聞を読み、本を読み、なんでも教えてくれた。
お酒を飲んで、たまに酔っ払うと哲学を語っていた。
日曜参観で、どのお父さんよりもサッカーが上手でかっこよかった。
小さい頃のわたしにはなんでもできるスーパーマンのようなひとだった。
わたしは父が大好きで、いつもくっついてまわっていた。
なんでもできるスーパーマンのそばにいると安心できた。
ちゃんとしてなくても、ばかでも、泣いちゃっても、弱音を吐いても、お父さんはいつも味方になってくれた。
わたしをありのままに受け止めてくれる。
ダメな自分をさらけだして、できない、わからない、教えて、これやってって言えた。
そして、今のわたし
ちゃんとやりたい。
ちゃんとやろう。
ちゃんとしないといけない。
ちゃんとしていないといけない。
笑っていたい。
笑ってないといけない。
つよくありたい。
こころをつよくもちたい。
いつまでもこどもなじぶん
でも、たまには
わがままをいいたい。
できないって言いたい。
いつでも前に進みたいけど、
だけど、ときにはつかれてしまうこともあるし、弱音をはきたくなるときもある。
だれにでもそんなじぶんをだせるわけじゃない。
そんなとき父がいたらって思っているんだ。
ただただ、わたしをわたしとして受け入れてくれる存在。
なにも言わずそばにいてくれる存在。
おとなになりきれないわたしはおかしいんじゃないかっておもっていた.。
ずっと父を求めるじぶん。
ずっと子どものままのわたし。
それを出すことはいけないこと。
それでいいんだ
甘えたかったんだって気付いた。
おとなになっても、それを思ってもいいんだっておしえてくれた。
それでいいんだよっておしえてくれた。
安心して涙がでてきた。
甘えたいときには、空をながめる。
父に包まれているって思う。
今のわたしをお父さんはなんて言うんだろう。
もしたいせつな人に甘えられたとき
今は甘えたいんだなって受け入れられる人でありたい。
おとなのあなたも、だれかに甘えていいんですよ。