nacoプロフィール

わたしは、47歳で今ラーメン屋の店長をしています。
毎日小麦粉の中で働いています。

小麦アレルギーを発症したのは、ほぼ2年前。

パンもラーメンもいっぱい食べていました。その頃は、今とはちがうお店の店長をしていました。

小麦アレルギーが2年前に発症

わたしは、2人の子どもがいるごく普通の主婦であり、パートでラーメン屋で働いていました。

パートから店長になる

新しくお店を出すことになりました。ラーメン屋とカフェの複合店舗です。会社にとって初めてのオリジナル業態のお店で、それまではアルバイトだったわたしが社員になり、初めて店長になったお店です。 ラーメンや、パンの試作、試食を繰り返していました。

お店はテレビや雑誌に紹介されたりして、一時的にヒットもしましたがとても苦戦していました。特にパンは、いろんなパン屋を巡っては片っ端から試食していました。

小麦アレルギーが発症

そんな毎日を過ごすうちに、何ヶ月かに一度起きる全身の蕁麻疹、喘息のような発作と呼吸できない息苦しさ、強烈な吐き気、これが頻繁に起こるようになってきました。

その時はそれが「アナフィラキシー」ということすら知らなかった。

アナフィラキシーとは、発症後、極めて短い時間のうちに全身性にアレルギー症状が出る反応です。

血液の低下や意識障害などを引き起こし、場合によっては生命を脅かす危険な状態になることもあります。

グルテンフリーを知る

アレルギーの反応が体調が悪い時に起きるだけだったのが、頻繁に起きるように。

何かおかしい」と思い、その時に「グルテンフリー」ということばを知り、人の勧めもあってグルテンフリーを始めてみました。

それからは発作が起きることなく、アレルギーの検査もせずに、「とにかく小麦粉は食べないでおこう」くらいの気持ちでした。 会社の人たちも理解してくれて、試食などしなくてもお店の店長を続けていました。

お店を閉店することになり、別のラーメン店の店長へ

わたしはそのお店が大好きでした。

「辞める」という選択肢は全くなかった。

 

でも結局売り上げが伸びずに、お店は閉店することになりました。

会社は他のラーメンのお店を何店舗か経営していて、その後また新しいラーメン屋を始めるということで、また店長をやることになりました。

その頃にはもう、小麦粉の中で働くのが苦しくなってきていて、でも会社にいればいつかグルテンフリーのお店を出せるんじゃないかって、今は苦しくても、それまで頑張ろうその思いだけでいました。

でも、「体にやさしいお店をやりたい」って思いはどんどんつよくなってきて、農業にもすごく興味を持ち始め、愛媛に自然栽培のお米作りを見に行ったりもしました。 次の時期には田んぼも借りてお米つくりも始めようとしましたが、会社の状況が変わり自由に何かできなくなってきて、泣く泣く田んぼも諦めました。

それでも毎日ラーメン屋で働いていて、喘息が出たり体が痒くなったり。

アナフィラキシーを起こし、より一層思いが強くなる

毎日小麦粉の中で働いているある日、多分醤油か何か入っていたものを一口だけ食べた。(醤油の多くには、小麦が使われています)

それだけで「アナフィラキシー」を起こし、救急車で病院に。

「食べる」ということが怖くて、少しでもついていたらとか、「醤油が使われているかも」という何かわからないものは一切食べません。

グルテンフリーブームで「グルテンフリー」という言葉をよく聞くようになりました。

でも、グルテンフリーというだけでは安心して食べることができないのも事実です。

グルテンフリーを掲げたお店で、使っている醤油を聞いても「醤油に小麦が使われていること」すら、店員さんが知らなかったり、グルテンフリーといっても小麦粉を使っているものと一緒に調理されていたり

怖くて食べられません。

「ふつうのものは食べないこと」が、当たり前になった。

でも、小麦粉に変わるもの「米粉」や「とうもろこし粉」がある。小麦を使っていない醤油もある。作ればなんでも食べられるとういうことも知った。

「安心して食べることができるということ」に、しあわせを感じます。

 

これからのわたしは、

もっともっと勉強して、アレルギーの人もアレルギーではない人も安心しておいしく食べることのできるもの、場所を作りたいって思っています。